私の生活、暮らし振りを少しお話したいと思います。
何年も前、私のお母さんは売り子をしていて、お父さんはバンビーノという会社で働いていて、一緒にプロフェソーレスに住んでいました。
両親は仲が゛よかったのですが、ある日おばさん達が、お父さんに他の女の人を紹介してから、お父さんは稼ぎを全部お酒につぎこんでしまうようになりました。
ある年の12月24日、お父さんは少し酔っ払って家に帰り、お母さんは友達の家にいて、お父さんが帰ってくるようにと電話をしても、いうことを聞きませんでした。少ししてお母さんが帰ってきたとき、私たちは食事の最中でした。お父さんは、自分に食事をよそうように、とお母さんに言い、お母さんは、そうしてほしければ他の女のところにいったらいいでしょ、と答えました。するとお父さんは、お母さんを殴りました。お母さんは熱いご飯の鍋を投げつけ、家を出ていきました。
おばさん達は、お母さんを刑務所へ送ろうと訴えましたが、お母さんは少しの間、テラという町に行き、私たち兄弟をお父さんのもとに置いたままにしました。しばらくして戻って来たとき、私はいまいるきょうだいの中で一番上なので、お母さんと一緒に行くことにし、お父さんとお母さんは別れて、弟、妹達をサンタナという所に行かせました。お父さんはちょっとした商売をはじめ、毎週末に仕送りをしてくれました。
妹のヨハナはサウルおじさんの家で洗濯をさせられ、いつもうまくできなくて服で殴られていたので、お母さんは妹を引き取り、カンポシエロで一緒に暮らすようになりました。
数ヵ月後、お父さんは反省し、私たちを迎えに来て、ロス・ピノスで家族揃って暮らすようになりました。そのときは、神様の思し召しで、すべてがすばらしくうまくいきました。でもまた、おばさん達がお父さんとお母さんを別れさせようと躍起になり、何ヵ月後かには、お父さんが再びお酒を飲むようになりました。家に帰ってくるのも遅く、私たちはいつもお父さんの帰りを待っていました。
ある日、お母さんが物売りするのを手伝っていて、レストランに入った私は、お父さんがほかの女の人と一緒にいるのを見てしまいました。お父さんは、お母さんには言うな、と言いましたが、言うとおりにはせず、お母さんのもとへ走っていって言いつけました。
その後、けんかが始まり、私たちはお父さんに家を追い出されました。
お母さんは、末の妹を妊娠したからだで、私たちと真夜中にロス・ピノスから市場まで歩いていきました。そして、おいおい泣きながら、市場の台のところにいました。夜中の3時になって、お母さんの友達が、私たちに宿を提供してくれました。
それからお母さんは、バナナを売って食費を稼ぎ、出産し、その後生後1ヶ月の妹を、(既婚の?)一番上の姉さんに託しました。
私たちは、サポ・デ・ケブラダ、10レンピーラの住まいを見つけました。そこの大家さんはとても良い人でした。私たちは、床にダンボールをしいてその上で眠り、お母さんは売り子をしながら生活を支えていました。
ある朝、お母さんは、二人の子供がいて夫から暴力を受けていたホームレスの女の人と知り合い、一緒に暮らすようになりました。お母さんはその女の人と仲良くなり、彼女が子どもは養護施設に預けた、と話して住所を教えたので、そこに行ってみることにしました。私たちは、はだしで破れた服、という格好で連れて行かれたことを覚えています。
施設のあるバジェ・デ・アンヘレスに着き、おなかをすかせていたら、神の思し召しで、妹が缶詰を見つけ、皆で分け合って食べました。施設の担当の人とお母さんが話し合い、その日は妹3人だけを、次の日曜に残りの子ども全部を預かる、ということになりました。上の妹達と私は、市場で物売りをはじめました。
次の日曜に施設に行くと、弟2人だけを預かる、と言われ、私はお母さんと帰りました。お母さんは私たち全員を施設に入れたかったので、公営の養護施設を探し、そこに私を預けました。その後お母さんは何ヶ月もの間行方がわからなくなり、施設に入ってからの3ヶ月間、ほかの子達には皆会いにきてくれる人がいるのに、私には誰も会いに来てくれる人がいませんでした。私は泣いてばかりいて、いつかお母さんが来てくれる日がくるように、神様にお願いしました。
誕生日には、友達が私を海に泳ぎに連れていって、砂をかけたことがうれしかったのを覚えています。その夜、お母さんは遠くにいるから私と一緒に過ごせないんだ、ということを思い出しました。
お母さんが迎えにきて、施設の人と話し、毎週末お母さんとでかける外出許可をもらえたときは、うれしかったです。
それからお母さんは、男の人と暮らすようになり、その人は私たちの義理の父親となりました。たちの悪い人だったので、私はその人に言われた事柄は誰にも言いませんでした。
ある年の12月31日、私はズボンではなく初めてスカートをはくのをいやがりました。義理の父はが私の足を見たがっていたからです。私には恋人がいたので、部屋を抜けだして、彼とおしゃべりをしていたら、義理の父が私たちが隠れて会っているのを見て、お母さんに私たちがいやらしいことをしていた、とうそをつきました。そしてお母さんは私にジュースでも買いに行きなさい、と言い、嫌がると頬をたたかれました。私は寝に行って、お父さんの住んでいるところには行かせてもらえませんでした。次の日、私はウムヤ養護施設に連れて行かれ、わんわん泣きながら、義理の父が私にしたことを思い出しました。
その後、お母さんは、施設を出るのを嫌がる私を無理やり引き取りに来ました。そして一緒にガムを売るようになり、皆で働きました。
ある晩、義理の父がレイプしようとしたので、私は家を出てカサ・アリアンサに行くことに決めました。
その頃から、私のストリート生活は始まります。最初、少しの間、私は(カサ・アリアンサの)「避難所」にいて、それから「定住ホーム」に移り、勉強をしたり、遊んだりしていました。私にはラファエルというドラッグ依存症の恋人がいて、ある夕方、接着剤を友達、恋人と一緒に初めて吸いました。ドラッグを使い始めたのはその時です。
その後私は、「定住ホーム」を抜けだし、ドラッグをやりつづけるようになりました。エリカと知り合い、また、ラファエルに夢中になりました。彼が人生で初めての男の人だと思うと、夢のようでした。
彼のお姉さん達と知り合いましたが、彼女達はストリートで生活していたので、私にも売春をするように言いました。それをいやがると、悪者扱いされました。何ヶ月もの間、つらいときを過ごしました。
それからロニーと知り合い、一緒に暮らしました。でもしばらくしてけんかして、彼の家を出て、ドラッグがたまらなくほしくなったので、ストリートに戻りました。エリックと付き合うようになり、ますますドラッグにのめりこむようになりました。
タマラに行った時、妊娠していることに気づきましたが、父親が誰なのかはわかりませんでした。一晩だけそこで過ごし、またドラッグ生活に戻りました。妊娠は、ドラッグの効き目をひどくし、私を苦しめ、また空腹も我慢しなければなりませんでした。「避難所」にも行きましたが、出たり入ったりの繰り返しでした。ドラッグが欲しくて、もうやめられない状態でした。「避難所」に戻るのは、私にはとても難しかったのです。ドラッグのことで頭がいっぱいで、その思いは日に日に強くなっていきました。
友達や恋人と一緒にビゴスに行き、しばらくして家に帰りました。
娘が産まれましたが、かわいいあの子は私のせいで、未熟児で産まれました。無事に生まれることすら難しかったほどです。少したって、娘をお母さんに預け、私はふたたびドラッグをやるようになりました。娘が母親の愛情を受けていないことに気づいたときのショックも考えず、悪いことだとも思いませんでした。が、あとになって娘を思っては、道徳的に苦しみました。モラの刑務所に入れられた際、産まれたばかりの娘がお母さんに抱かれて私に会いに来た時は、泣きたくなりました。
その後、釈放許可書が渡されましたが、それはまるで悪魔の誘惑にも等しいものでした。
またドラッグをやるようになり、盗みもし、ドラッグを手に入れるためなら、友達に殴りかかったりもしました。ドラッグでフラフラになっている状態で娘の所へ帰ることもあり、お母さんは、娘が誕生したというのに、私が少しも会心していない、と泣きました。そして、警官までが私をストリート生活者だということで、レイプしようとしました。
そして今、私は「避難所」に戻り、もう出ないつもりでいますが、時々悪魔のような(ドラッグの)誘惑にかられます。神様、娘のためにもっと私を強くしてください。娘は母親の愛情を知らずに育っているので、私を「ママ」と呼ばないのかもしれません。神様、心からお願いします。麻薬をやめさせてください。
これが、私の歩んできた道です。悪夢のようでした。あなた達の人生、生き方をよく考える材料になればいいと思います。麻薬は良くないのです。将来のことを考えてください。
神様は偉大なのです。