No.66 : 1/17/2000
みんなちがって、みんな大変!
その27・ハッヴィ?村の生活はハッピーか(その1)
篠田有史
昨日、南ラオスの取材から帰ってきた。というわけで今回はとれたてホヤホヤの話だ。南ラオスといわれても、ラオス自体どこにあるか御存じない方のほうが多いと思う。ぼくにしても、東南アジアの取材にかかわり合う前は、正確にラオスの位置を示せといわれても分からなかった。先ずラオスはベトナムの西となりにある国で・・・と書くよりも地図をのせたほうが話が早い。
ごらんのように、ラオスは南北に長い国で、海がない、しかし大河メコンが国境にそって流れている。今回は、そのメコンにラオス南部でそそぎこむセコン川のほとりにある、小さな村の話である。
まずこの村にたどり着くまでが大変な道中だった。舟でも行けるが転覆すると危険だという地元の人の忠告で、トヨタの4輪駆動車で出発したのだが、まさに山あり谷あり川ありの道を5時間以上走ってもまだ着かない。話では4時間でつくことになっていた。途中何度も泥土にはまり込み自力では抜けだせず、車の前についているウインチを使って、道路わきの樹に繋いで、なんとか脱出ということを数回くりかえしていた。いい加減にしてくれ、といいたくなるような気分になったころ、車の調子がおかしくなった。そして、急勾配の上り坂の途中でまったく動かなくなった。目的地まで何キロあるのか分からない。陽は沈み、闇がせまってきた。しかし、幸いにもこの日の目的地へはあと3キロほどだった。結局車は置いて先へ進むことにした。
翌朝、今度は舟で川を下ることになった。簡単に取り外しができる、船外機を使って川を行き来する小舟で、後ろにはその船外機を操縦して舵をとる人と、舳先には前方の様子をみる、まさに船頭さんが乗り込む。そして真ん中にわれわれ3人(ライターと通訳とぼく)が乗り込んだ。早瀬のところでは、小舟は揺れて時には水しぶきをかぶる。両岸は熱帯ののどかな風景が続くが、決して気を抜けない。もし岩にでも当たったら転覆してしまうからだ。さらに危険なところは、客のわれわれは下りて岸を歩き、船頭さんたちだけで早瀬を乗り切っていく。というようなことを何度かくりかえし、2時間ほどしてようやく前述の村に到着した。もの珍しそうに村びとたちが集ってくる。
村の名はハッヴィ。「ヴィ川(セコン川の支流のひとつ)の中洲」という意味で、もともとはヴィ川があったところに村はあったらしい。この村の人々は「ンゲ」という少数民族で、何十年かごとに移動している。人口240、28家族が暮らしている。この村には、まったく電気も水道もない。というより、懐中電灯以外の電気的なものはいっさい見かけなかった。携帯ラジオもなかった。それに、トイレもない。
家は高床式で釘は一本も使ってない。ツルを巧に使ってしばりつけてある。家の中はけっこう広い。我々が泊まることになった家は30畳ほどもあった。とくに仕切りはなく、いろりも同じ家の中にある。ここに、12人3所帯が住んでいる。それに小学校の学校の先生が2人居候している。そこへ、我々3人がさらに居候することになった。電気がないので、夜は灯油の小さなランプの回りに集って過ごす。といっても、朝が早いので8時か9時には寝てしまう。
朝は、ほんとうに早い。午前4時。まず70歳になるおばあさんが起きる。そして、主食のもち米を炊く。外はまだ暗いが、娘たちがキネでドスンドスンともみ殻をとるために米をつく。4時半にはドラが鳴る。こうなったら起きざるをえない。
トイレは暗いうちにすませた方がいいと言われていたので、やぶへ向かう。どこかは正確には教えてくれないのでペンライトで適当なところを探す。と、後ろに何ものかの気配がした。振り返ると、そこには何匹ものブタがゾロゾロとついてきていた。ブタといってもここのブタは無気味な黒いブタだ。何故ついてくるのかは、察しのよい人はお分かりになるだろう。もちろん、僕も分かった。分かってはいても、いざするとなるとちょっと不安になった。途中で突進してこられたらどうしよう。しゃがむと目の高さはブタと同じになる。想像して欲しい。といっても、そんなに躊躇しているわけにはいかない。ますますブタが集ってくる。ペンライトを振り、ブタばらいをしておいて、一気に済ませた。その後にいっせいにブタたちが群がった。葉っぱについたものまで、おいしそうにペチャペチャとなめていた。確かに、トイレを作るよりも、経済的で清潔かも知れない。トイレがないと聞くと一瞬えっと思うが、慣れればそれほどのことはない。しかし、この村にはそれほどのことはない、といってすまされない大変な習慣があったのだ。
(つづく)
(しのだ ゆうじ・フォトジャーナリスト)